え      う ば そ こ、

役の優婆塞、

 くじゃくおう      じゅほう     しゅうじ 
孔雀王の咒法を修持し、

  け        げんりき    

異しき験力を得て、

 げん    せん    な              
現に仙と作りて天に飛ぶ

                     (日本霊異記より)


山伏が誘う神霊の棲む山々


山は日々、
死と再生を司る
■山岳とは、われわれの祖先にとってどんな世界だったのか?
 天と地の境に位置する山岳とは、冥界であると同時に神域であり、
恵みとともに破壊を司る、相反するすべての要素を内包して古来より厳然と存在してきた。
 「ヤマ」の語源には諸説あるが、『大言海』や『広辞苑』では、
「ヤ」は「高き義」、「重なり積もれる」ことをいうとある。
 このことからも、山の性質の第一義は、高く突出した大地が積もり重なるところと認められる。
 当然、そこは天に近いという地理的条件から、おそらく古代の東アジア
(思想的な発祥は、北東アジアのツングースかと思われる)に普遍的な思想として存在していた、山中他界観、あるいはまた神々の降臨の場として見なされていく。

写真:国宝孔雀明王画
■山中他界観とは?
 古来、山は高いところに昇っていく性質をもった死者の霊魂が帰っていく場所と考えられた。
 つまり、死者の魂魄はまったく別の世界へ行くのではなく、現世の山中に集まっているとするのが山中他界観である。
 余談ながら、日本人の他界観は山中だけでなく、海中、天上、地下といった発想も存在する。
 浦島太郎が訪れた竜宮や、また、東シナ海の島々や紀伊半島の南端に濃密に存在する、海からの客人(まろうど)信仰などは海中他界観の延長にあるものと考えられる。
 山中他界観は、のちに仏教と結びつき、平安時代には山中浄土観へと発展する。
 恐山のイタコが口寄せをするのは、そこが死者の寄り来る他界だからにほかならないからだ。

写真:熊野最古の霊域である
ゴトビキ岩。
この磐座に熊野の
最初の神が降臨したとされる
■神々の降臨の場とは?
 山は、その地理的条件から天にもっとも近い。
  そう見なされたことから、しばしば神の降臨の場とも考えられた。
 天孫ニニギ命が筑紫の日向(ひむか)の高千穂のクシフル岳に天降ったり、ニギハヤヒ神が河内の国に天降ったりするのは、上古より山岳に神が降臨する信仰があったことを物語る。
 また、山岳宗教が盛んだった山には、しばしば磐座(いわくら)という石の遺跡が存在する。
 これこそ、神が天から降臨する座所にほかならず、熊野の神倉山のゴトビキ岩、羽黒の湯殿山の磐座、役小角が蔵王権現を感得した伝説のある金峯山の湧出岩などが、それら磐座である。


第1回 相州大山